かつても名将が愛した石積みの庭づくり。

小牧市桃花台・篠岡地区 実績No.1 /
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仲根石工造園

〒485-0804
愛知県小牧市大字池之内405

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信長の庭づくり
信長が愛した石工技術

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株式会社仲根石工造園

〒485-0804 
愛知県小牧市大字池之内405
Tel. 0568-79-8260
Free.0120-31-2829

会社概要

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信長の庭づくり 信長が愛した石工技術

技術継承300年。地元小牧の職人が持つ受け継がれた技。技術継承300年。地元小牧の職人が持つ受け継がれた技。

海外からの輸入品やコンクリート製品ばかりに頼らないその土地にあった、
その土地にしか出来ない世界唯一の庭づくり。
それは地域を知り尽くした職人達の手によってのみ生み出される。

素材を知り尽くし、300年の伝統技術と最新の知識があるからこそ、
初めて圧倒的な品質の庭づくりが可能なのです。

生粋の職人技術は、とても懐かしく、温かい。
そして地元で愛され続ける伝統技術は、明日の小牧の町並みを変える未来技術でもあります。
家族に優しく、自然に優しく、この地に住まうあなただけのお庭造り。
歴史の技術と伝統に裏打ちされた、世界にただ一つのとびきりの空間を、
同じ町に住むあなたにお伝えしたい。
今や誰も真似することの出来ない、この地に伝わる織田信長も愛した造園技術。
その論拠と施工事例をこちらからご覧いただけます。

苔むした石垣が語る、信長を支えた名もなき石工職人たちの物語苔むした石垣が語る、信長を支えた名もなき石工職人たちの物語

信長の愛した小牧城石垣には、
時代を超え
脈々と受け継がれる
地域独自の石工技術が生きている。

現在の小牧山城(小牧市歴史資料館)

時代は永禄、今から約450年前、私達の住まう小牧市は、尾張の織田家と美濃の斉藤家が血で血を洗う激戦の地であり、後に天下を半ば統一した織田信長でさえも、屈強の兵と広大な領地を擁する美濃斉藤氏の前に連戦連敗だったと伝えられています。
そんな父の代より苦渋を舐め続けてきた隣国の脅威を防ぎ、美濃を手に入れるには、清須ではなく最前線により近い小牧山に本格的な城閣を築く必要がありました。
しかし小牧山の標高は85.86m、それに対し敵の本拠地稲葉山は329mの峻険な山麓を成す天然の要害。
守りの堅さも、威容も大きく差がある事から、

信長は、自らが始めて手掛ける居城を稲葉山城に見劣りしない、堅い守りと自らの権威を誇示する事の出来る今までに無い前代未聞の城造りに着手します。
そうです、これまでに無かった信長独創の石垣城郭の築城です。

そうは言っても当時の城は織田家の居城であった清洲城をはじめ、陣を敷く屋敷や寺院も、敵からの攻撃に対する防御力はそれ程優れたものではなく、せいぜい丘の上に砦を築き周囲に堀を掘った程度の平城が多かったと言われています。
しかし信長は、勢力を北へ北へと進める中で、ついに石材の宝庫である小牧(駒来)を手に入れます。
ここまで来ると広大な平野の中にぽつんと佇む岩盤で出来た小牧山があり、眼前には当初築城を考えていた本宮山・信貴山・尾張白山が連なる尾張三山が広がり、五枚岩で有名な岩崎山もある。

小牧岩崎山さんの石材を小牧城石垣風に

これら全てが丸ごと石の塊であり、信長自ら考案した夢の築城計画を型にする事が、この膨大な石材を得る事でいよいよ可能になったのです。
これまでの織田家の勢力下であった清須を中心とする尾張平野は、大きな山や大型河川、渓谷が乏しく、城の石垣を構成する巨石を多く産出することが出来ません。
また当然それらを取り扱う石工職人もいなかった筈です。
後世有名になった「安土城」築城の際に、比叡山山麓の石工集団「穴太衆」(あのうしゅう)が安土城の石積みで名を上げた様に、卓越した技術を持つ集団が無ければ、石垣を持つ本格的な築城は不可能なのです。
しかし小牧一円、現在の尾北と呼ばれる地域には、偶然にも長らく石積みをという特殊な技術を伝承する石工職人が多く存在していました。

悠久の流れが伝統の技術を生み出した木曽川

なぜなら、岩で出来た山々がある他にも、この地域を流れる木曽川流域には、太古の昔からの度重なる氾濫によって庭先を掘れば大小様々な川石がゴロゴロ出てくる様な土地柄です。
無限にあるそれらの石を使って自らの住居や田畑、寺社仏閣を木曽川の脅威から守る為に先人達が試行錯誤の上編み出した石工技術は、正に生活の知恵であり、生き延びる手段として芸術の域にまで発達しました。
自らの生命と財産を守る為に、鎌倉時代からその技術が研鑽され続けていると言われるその卓越した石工技術。
土木工学が進歩した現代においても理に適っ

た土木技術として、今なお活用されている程の高度な技術は、当時の城づくりにおいて計り知れない大きな力となった事でしょう。

その理由として、信長が小牧山周辺地域を手に入れる以前、この地域は敵方陣地との最前線にあったことで当時の信長配下の丹羽長秀や佐久間盛信らが幾度となく調略を仕掛け、対話工作を繰り返していたとの記述が「信長公記」にもあることから信長は、この地域の有力者の存在、そして腕の立つ職人集団の存在を小牧を手に入れる以前から掌握し、小牧山城築城の際に大いに利用しただろう事は疑い様がありません。

墨書で『佐久間』と書かれた石が出土

今も昔も建築を行う上で
普遍的な3つの大きな要素

小牧山の歴史的大発見

それは人・物・輸送です。
絶対に変えられない、そして常に現場の棟梁が頭を悩ます不変の方程式「技術者の囲い込み+資材の調達+物流ルートの確立」この計算式のうち一つでも欠けたら物づくりは頓挫するか、膨大な時間と経費を労する大変非効率な建築になるのです。
当時は現在の様に、トラックや重機は当然の事、精度の高い測量機器や一輪車すら無い時代。
当然の如く全て人力作業で行います。
いつ何時敵方が襲ってくるやもしれぬ国境の最前線での工事です。
だからこそ時間や労力に対するコスト感覚は、

今の時代と比べ物にならない程シビアに計算され一切無駄な段取りは踏まないでしょう。
一つの段取りミスが大きな工期延長に繋がり、城の建築はおろか折角手に入れた領地すら奪われかねない緊張感があるからです。

更に当時のエピソードとして信長の死後、徳川の安定した時代になってさえも尾張名古屋の地域は資材不足に悩み苦しんだ痕跡がみられます。
名古屋城築城の際には石垣を作る為に小牧の岩崎山や三河湾に浮かぶ篠島にまで手を伸ばし石材の調達を行い、近隣に木材を切り出す山が無いことから城の木材供給の為に清洲城を解体してでも資材の再利用を行わなければならない状況だったのです。
敵がいない徳川の安定した世になってもなお、材料が近くに無いと言う建築の方程式が一つ崩れるとどうなってしまうかがこの逸話からも伺い知れます。

先程も述べましたが、信長は小牧に来る事で近代城郭を建築する3大要素を初めて手に入れました。
あなたも、信長になったつもりで想像してみて下さい・・・・。
信長が野望を抱いたあの戦乱の世を。
信長の妻「濃姫」の父であり、いずれは信長に美濃を譲ると思われていた斉藤道三が、子の義龍に殺され以来、強大な大国美濃は信長にとって大きな脅威だった筈です。
そんな食うか食われるかの戦国の世において1寸の隙、1日の無駄が死を招く緊張感の中わざわざ危険極まりない無計画な築城には踏出しません。

信長没後の小牧・長久手の戦い

現場の目の前に石で出来た山があれば、当然そこの石を切り出し運び込むでしょう。
時間と金をかけて重い石をわざわざ遠方から持ってきません。
地元に一人や二人ではない大規模な技術屋集団がいれば、どんな手を使ってでも利用するでしょう。
巨石を産出しない尾張平野で、存在しないかも知れない石工職人を探しには行きません。
すぐそばに地元の職人集団がいるのですから。

小牧市歴史館蔵(小牧市)小牧山城石垣模型

小牧山城築城を皮切りにその後この信長独創の築城スタイルが全国へ広がっていきます。
信長最後の城である安土城は全山総石垣と言われる程、石垣を多用し後世の城造りに大きな影響を残したと言われていますが、近年の小牧山の発掘調査の結果から、小牧城の石垣こそが信長の城造りの原点でありここでの成功が無ければ安土でも石垣城郭は採用されなかったに違いありません。
そう考えると小牧城の石垣を造り上げた名も無き職人たちが後世に残した爪痕は大きく、織田信長の天下統一に大きく貢献したと言っても言い過ぎではありません。
信長が愛した城郭石垣、そのルーツが小牧城

にあり、その技術の源流が今でもこの地に確かに根付いていることを改めて誇りに思うと共に、数百年の歴史を経てその技術を絶えることなく伝承してきた先人達に改めて敬意を送ります。

最後に・・・

仲根石工造園創業当時の石積みの様子

私達は小牧城のお膝元、小牧市で創業より3代60余年、そして石工職人の末裔として生まれた創業者の生誕・修行の地でもある大口町を源流として、300年を楽に越える石工技術の継承を現在に至るまで脈々と行なってきました。
近年の小牧山の発掘調査の中で、歴史的大発見である石垣を目の当たりにした時、地元に伝わる伝統石積みとの類似点が余りにも多い事に驚き、永らく小牧市で石工に携わってきた職人としての誇りと責任、そして何か先人からのお導きでもあるかのような不思議なご縁を頂く中で、これまで独自の研究調査を続けて参りました。

この度、信長の愛した小牧山石垣のルーツを探る際、残された僅かな文献をひも解く歴史学者の見識を大いに参考にさせて頂いた上で、そこに伝統技術を受け継いだ石工職人としての現場目線を加味することで、今までに無い新しい見解を見出すに至りました。

確固たる証拠文献はありません。
しかし私共が先祖から伝え聞く歴史的伝聞と、受け継いだ技術の共通性、そしてなにより資材の安定供給と石工職人の存在という建築に必要な絶対要素が全て揃っている事を確かな論拠とし、信長が初めて作った日本最古の城郭石垣は、地元の石材、地元の石工職人によって造り上げられたMADE IN KOMAKIであったと結論づけております。
この検証が後の世の定説になっていると確信しておりますが、仮にこの検証が新たな発見によって覆されたとしても、この地に残る信長の愛した石工技術への関心が更に高まり、三英傑が
しのぎを削った小牧山の更なる魅力向上に繋がれば幸いです。

1級造園施工管理技士
 文化財石垣保存技術協議会 技術会員
小牧山石垣研究家   仲根 弘志郎

今までの事例

小牧に残る信長も愛した伝統の石工技術施工:(株)仲根石工造園

木曽川の流れより生まれる木曽玉石。球形をしているが故に最も難易度が高く、石工職人の中では古くから「玉石なぶって一人前」という言葉があるほど、熟練の技術と知識が必要とされます。
小牧周辺に伝わる正統な石積みの技術は、この玉石を自在に操ることで生まれ発展していきました。

木曽玉石積み 寺社仏閣お堂建立

木曽玉石 屋敷積み

木曽玉石 亀甲積み

玉石積みから発展した石工技術施工:(株)仲根石工造園

割石積み

切石積み

  • 蛭川石 野面乱積み

  • 小牧岩崎山 割石積み
    蛭川石 野面積み

信長の愛した匠の技は
現代の造園外構工事に姿を変える
施工:(株)仲根石工造園

信長の時代より受け継がれた石工技術と、最新の外構デザインの組み合わせは、飽きの来ない百年の風雪に耐えうる世界に一つのオンリーワン外構。
400年の時を越え、信長と繋がる事の出来る価値ある外構は、磨き上げられた技と、受け継がれた確かな知識を継承する職人のみが産み出す事のできる真似の出来ない全く新しい外構の形。

社寺・仏閣のお客様へ

寺社仏閣の鳥居や石積みのお庭で
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